フレッドペリーのポロシャツ

フレッドペリーのポロシャツ

ポロシャツだけでなく、ジャージやジャケット、バッグ、スニーカー、ニット、ワンピースなどが通販でも人気のフレッドペリー
フレッドペリーのポロシャツとはどんなブランドなのか、どんな風なのか、どんな感じなのかを紹介しています。

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フレッドペリーとは

フレッドペリーとは、英国のスポーツファッションのブランドの名称です。

このフレッドペリーというブランド名前の由来というのは、フレッド・ジョン・ペリーと言う英国のテニスプレーヤーで、1934年から1936年までウインブルドン三連覇をしたり、1935年に全仏選手権を制することで、史上初のキャリア・グランドスラムを達成した偉大なテニスプレーヤーであり、今でもなお特に英国では、テニス界の伝説のプレーヤーなのです。

誰もが一度は見たことがあると思うのですが、あの月桂樹のトレードマークというのが、フレッドペリーのマークなのです。

フレッド・ジョン・ペリーという人はもちろんテニスで有名だったのですが、同時に彼の着ているテニスウェアも有名で、そのテニスウェアのセンスのよさから、広くテニス界のベストドレッサーとしても有名でした。

フレッド・ジョン・ペリーは第二次大戦を挟んでも尚活躍したのですが、1940年代後半にはテニスを引退をして、スウェットバンドの製造販売事業というのを始めるようになりました。

今でもテニスだけでなく、多くのスポーツ選手や最近ではファッションとしても人気のあるスウェットバンドとかリストバンドとかの原型のようなものであり、割と人気があったと言うことですが、それをきっかけとして、シャツを製造して販売することも始めて、それが現在のフレッドペリーなっているのです。

フレッドペリーのデザイン

フレッドペリーのシャツの特徴というのは、フレッド・ジョン・ペリーがエリザベス女王から質問に対して「女王様、このシャツはフィットするのです。」と答えたように、これがフレッドペリーの一番の特徴です。

フレッドペリーのシャツというのは、基本的にはテニスをするためのデザインになっていて、機能性を重視したデザインなので、ファッションとして現在のようにスポーツウェアが定着していなかったので、純粋にテニスウエァとして成功していたのですが、1960年代には、テニスウェアであっても白だけでなく、カラーのシャツが販売されるようになって、フレッドペリーも早くからカラーのシャツを販売してきました。

その時代の英国のファッション界というのは、モッズが全盛期の頃であり、最初にファッションに敏感な若者たちからフレッドペリーのカラーのシャツが人気となって、ロンドンのモッズファッションの聖地であるカーナビーストリート発のファッションのトレンドということで、あっという間に世界中で人気になったのです。

その時代のミュージックシーンというのもフレッドペリーにとっては、追い風であり、日本でもGSブームが巻き起こる中、フレッドペリーの月桂樹のマークというのは、定番のアイテムとなっていったのです。

あのビートルズであっても、デビューした最初の頃のファッションというのは、モッズファッションだったくらいなので、その頃のモッズファッションの影響力というのがいかに大きかったかが判るかと思います。

ここ日本でも、1970年代のファッションアイテムがビンテージファッションと言うことで、再び人気が高まってきています。

そいうトレンドの中でフレッドペリーのシャツというのは、1枚は持っておきたいものの一つでしょう。

モッズとは

モッズ (Mod, Mods, Modernism or sometimes Modism) は、イギリスの若い労働者がロンドン近辺で1950年代後半から1960年代中頃にかけて流行した音楽やファッションをベースとしたライフスタイル、およびその支持者を指す。

モッズファッションとしてよく連想されるものとして、髪を下ろしたMod Cut、細身の三つボタンのスーツ、ミリタリーパーカー、多数のミラーで装飾されたスクーターなどがある。

モッズは深夜営業のクラブに集まり、ダンスに興じたりその衣服を見せ合ったりした。

彼らの多くはスクーターを移動の手段とした。

エンジンが剥き出しのモーターサイクルではスーツが汚れてしまうためである。

ランブレッタやベスパといった車種を好んで運転した。

これらのスクーターは、初めはシンプルに乗られていたが、やがて多くのライトやミラーで飾り立てられていき、しまいには、すべてのボディパーツを取り払った骸骨のようなものも現れた。

モッズは当時のもう一つのライフスタイル支持者、ロッカーズと対立したとメディアに書きたてられた。

しかし実際、モダニスト達はそのことに興味がなく、ブライトンやマーゲートと言った海辺の行楽地では新聞を読んだキッズ達による乱闘が発生した。

彼らの対立はアンソニー・バージェスの『時計仕掛けのオレンジ』に大きな影響を与え、未来のアンチヒーロー小説として作品は誕生した。

1979年の映画『さらば青春の光 (Quadrophenia)』はザ・フーのアルバム『四重人格 (Quadrophenia)』からそのタイトルを取り、内容は60年代のモッズ達を描いた物であった。

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